陸「金銀魂ビネーション」-3

白。
地平の境界線が姿を眩ませた、四方八方何処を見渡しても何処までも白い白。
みかんは三度、この場所に足をつけた。
もはや驚きはない。
この場所を確認するや否や、この場所にしか存在しない彼女を探し始め、
すぐに気配がして、振り向く。
「レーテ…」
みかんの夢の中にだけ現れる、白い空間の住人。
彼女がそこにいた。
「――貴方の知りたい事に答えましょう」
こちらが聞きたかった事を、また見透かされていたようだ。
わざわざ聞く手間が省けた、と思えば特に気になる事ではないが。
レーテは口を開いた。


――マテリアジュエルは、貴方達「マテリアン」が必ず手にしている特異な力を持った宝石。
所有者ごとに異なる色と力を纏い、所有者は宿る力を思いのままに行使することができる――
――ただし力は意思を持つ。力を行使する度に力は代償を求め、所有者の『何か』を一つ喰らいつくす。能力、感情、運命…何が喰らわれるかは誰にもわからない――
――そしてマテリアジュエルは所有者の命を形にしたもの。
宝石の破壊は死と等しく、また死は同時に宝石を消滅させる――


淡々と話す彼女を眺めながら、流れてくる言葉に耳を傾ける。
破壊は死を呼び覚ます――
やはりあの紙に書いてあったことは紛れも無い事実なのだ。
今まで以上に意識してこの宝石を守らねば…これがもし――例えば姉の手に渡ってしまったら――
背筋がぞっとして、みかんはそこで考えるのをやめた。
その他にもいくつか気になる点があったが、それについて聞いても納得のいく答えが戻ってこないような気がしたので口をつぐんだ。
レーテがまた口を開く――
「貴方の運命は定められた、って言うけどさ――」
(……?)
その声に違和感を感じた。
「理不尽だとは思わない?悔しいとは思わない?勝手に決められちゃうなんて、嫌だとは思わない?」
(…この声…?)
彼女の――レーテの声ではない。それどころかとても聞き慣れた声。
それに気付くのと同時に、目の前の彼女の姿が少しずつ歪んでいく。
「…でも大丈夫。私達はそれを覆す事ができる。勝手に決められた運命を壊す力を持っている」
まるでテレビの砂嵐のように彼女の姿ははっきりしなくなり、それが少しずつ形を変えている。
それがより一層の寒気を募らせ、また背筋をぞっとさせた。
「運命がどうとか言う奴も、命を奪いに来る奴も…みんな殺して、そして壊そう」
――みかんは気付く。その声の主に。
その予想をとうに見透かしていたかのように、ほぼ同時に目の前の彼女の変わり果てた姿がはっきりと映る。
予想は見事に的中していた。
出てきたのは、生まれたままの姿で全身に鮮やかな血を大量に纏い、
こちらを見据え、何が可笑しいのか、狂気を宿した唇を悦びに歪ませて薄気味悪く微笑していた――
「だからずっと…ずうぅっと待ってる。早く、私を覚醒(おこ)して…」


自分――






「……っ」
視界は白くなかった。
吊らされた明かりが力無く揺れ動く、今となっては見慣れた船室の天井。
頭の中はごちゃごちゃしていて、少しだけ頭痛を伴っている。
「……今のは」
瞼の裏にしっかり焼き付いている己の姿。
両の鼓膜にしっかり焼き付いている、それが口走った言葉。
自分が言ったわけじゃないのに。
それがとても、気味が悪かった。
だが、悪い夢で片付けることもできない。
あの自分はレーテと同じ世界に『居る』のだ。
彼女と同じように、存在している事に何か意味があるはず――
「……う…」
船が揺れた。
天候が穏やかで本当に良かった、と思った。
もしそうでなければ、今頃は死にも等しい拷問じみた船の揺れに殺されていたはずだ。
小さな窓に目をやる。ガラスの向こう側はすっかり暗くなっていた。
意識をなくしているうちに随分と時間が経ったようだ。
今の状況を把握すべく、みかんはよろめきながらも部屋のドアを開けた。






(出なければよかった…かな…)
甲板に出るなり、自分の取った行動を悔いるみかん。
船の揺れが収まるはずもなく、周囲に広がる、むせ返る程の潮の香りとの連続攻撃が容赦なくみかんの気分を害す。
やはり船の上では何処にいても同じ。とてもじゃないが気分転換なんてできない。
…なんだか海が嫌いになりそうだ。
太陽をすっかり飲み込んでしまった海は、淡く光る紅い月の明かりを反射して、綺麗で、そして不気味に見えた。
船の揺れさえなければ、悪くない光景なのだが。
「…ん」
海を眺めているうちに、気になるものが視界に入ってきた。
一部分だけ月の光を反射していない小さい島のようなものが、ぽつりと海の真ん中に佇んでいる。
暗くてはっきりとは見えず、うっすらとそのシルエットがわかる程度だ。
島の近くを横切る航路だったのだろうか。
「…お、誰かと思えば」
あまり聞き慣れない男性の声がした。
銀髪の青年だった。確か一緒にこの船に乗ることになった…
「…ええと」
「まあ、会話したことなかったからな…改めまして、ファラクエスターラだ」
「あ…みかんです。哉樹みかん」
軽い挨拶を済ませ、ファラクは手摺りに前のめりになってもたれているみかんの隣に立った。
こちらの調子を聞いてきたので、とりあえず簡潔に「見ての通り」と答え、
こちらも今の状況を伺うと、彼は人当たりの良さそうな笑顔で「もう三日目が終わろうとしている」と返してきた。
…酔いでダウンしてたから仕方ないとは思うのだが、それでも寝過ぎだ。
仕事をする代わりのただ乗り、という約束だけに、降りる際に代金を請求されそうな気がする。
…本当に吐きそうだ。
「ま、明日には港に着くから、もう一眠りしてるうちに降りられるさ」
そう言いながら、みかんの背中をぽんぽんと叩く。
ごめんなさいやめて吐きそう…
みかんの頭でその単語だけが縦横無尽に駆け巡っていた。
「ん、そうだ。これ返すよ」
彼が差し出したものを受け取る。
ひどく見覚えのある剣。
「これ…私の?」
「君が寝てる間に魔者が襲ってきてね。使わせてもらったよ」
気付かなかった。いや、寝てたから仕方ないか。


「さて…それじゃ俺はもう休むよ」
大きく背伸びして欠伸を一つ。
ゆったりした足取りで船室へ降りる階段に足をかけたところで、
「君も休まないとぶちまけちゃうよ」
と言い去る。
起きたばかりなのになかなか酷な言葉だ。休めるならとっくに休んでます。
…だが体調が芳しくないのは間違っていないので、無理してでも休んだ方がいいかもしれない。
「…あれ?」
もう一度視線を海にやると、さっきまでとは様子が違っていた。
相変わらず暗くてはっきりと言えないが、特に目を引いたのは――そう、島だ。
気のせいでも記憶違いでもない。船が近くを横切ったはずの島が『船の真後ろで肥大化している』――!
嫌な予感がして、それがすぐに確信に変わった。
海を割る轟音と共に、島が海面を突き破る――!
船が激しく揺れ、みかんはとっさに手摺りにしがみついた。
宙に舞った海水が容赦なく甲板に降り注ぎ、みかんも頭からそれを被ってしまう。
濡れた顔を手で拭って目をこらし、島を見る。
「な…なんですかこれっ!?」
そこに島は無かった。
代わりに現れたのは、この船の全高を軽々と越える得体の知れない生き物。
こちらを見据えている。
僅かに紅い色が混ざった暗闇の中で、そのシルエットが浮かび上がる。
「大きな…イカ!?」
手摺りを掴みながら剣を抜く。
だが船の揺れで足元がふらつき、ただでさえ芳しくない自分の体調が更に悪化していく。
このままではまずい――
空を見上げると、高く掲げられた足――いや、これはもう触手と呼ぶ方が適切だろう――が数本、甲板目掛けて振り下ろされた!
「きゃああっ!」
いともたやすく手摺りが壊され、触手が甲板に乗り上がる。
放っておけばここから船が壊され、たちまち積荷や乗組員ごと海の藻屑になってしまう!
「くっ…このおッ!」
とにかく触手が邪魔だ。
剣で斬りつけようと、巨体に見合う太さの触手の一本目掛けて振り下ろす――が。
「――えっ!?」
掌に返ってきたのは肉を斬った感触ではなかった。
一瞬、何が起こったのかわからなかったが、剣が手の中に収まってないのを確認してからようやく気付いた。
剣が弾かれた。
弾力ある触手が刃をも打ち返し、みかんの手から剣を引き剥がしたのだ。
船からは落ちなかったものの、剣はみかんから離れた所に音を立てて転がった。
(……うぅ…)
取りに行くにはたやすいが、己の体調と船の揺れが力を合わせてみかんに動く余裕を与えない。
魔者がその隙を突くように、触手を再び高く振り上げる。
こちらを狙っているのは明白だ。
空を突くように高く掲げられた触手がゆらゆらと揺れ、こちらを狙い、目掛けて勢いよく振り下ろされた――!
「下がって!」
「っ…!?」
誰かの声が聞こえ、とにかくその指示に従って一歩後ろへ下がる。
たかが一歩ではとても触手を避けられそうにないが、その結果はすぐに目の前で繰り広げられた。
突如として空から落ちてきた何かが、迫り来る触手を真っ二つにしてしまった!
ちぎれた触手は勢いに任され、そのままみかんの頭上を越えて海の中へ飛び込んでいった。
沈む触手の行方を見届けた後、みかんは正面を向いてそれをやってのけた何かの姿を確認した。
「…明菜さん!?」
「お怪我はございませぬか、みかん殿」