漆「風と地の姫」





一行はいよいよ風竜国ウィンドラウスへと向けて進んでいた。
みかんと皐月の体調も、外を出歩いても問題ない程度には良くなったが、無理をしすぎるとまた倒れてしまうだろう。
目前には城、振り返れば旅客船が遠目に見える。
順調に行けば、日が暮れる前には城――正確にはその近くにあるマルカイムの村に着くはずだが…
一行の足取りは順調と言えるペースではなかった。


輝くほどに白く、そして冷たい大地。
歩いてきた道筋には無数の足跡が形作られ、吐く息が姿を現して各々の肌をかすめていく。
空は清々しく太陽が照り、一行の足元だけが宵闇を帯びて佇む。
手には抜き身の得物。
その身には所々に黒が混ざっていたが、やがて溶けるようになくなっていく。
僅かに吹き出た汗が、時折流れてくる冷たい風によって冷却され、
それがまた一段と寒さを募らせるのだ。
――ラルフが言葉を放った。
つまりはこういうことだ。


「――ういっきし!!」






「寒いし魔者はどんどん沸くし…ったく、色んな意味でしんどいな」
「ホントよねー…ま、降ってないだけマシよ」
「動いたほうが暖まるしね」
船を降りて宿を取った次の日には、既に外は一面銀世界になっていた。
元々この大陸はこれが普通で、むしろ先日のように雪が積もっていない日のほうが珍しいほどである。
風はあまりない。積もってはいるものの、今は雪も降っていないのが幸いか。
風も雪もとなれば、目も当てられないほど天気は荒れていただろう。
それだけではない。
船を降りてから、やたらと魔者が出没するようになっているのだ。
個々の能力は全く脅威にはならないものだったが、休む暇を与えないように数で攻める習性を持っていた。
魔者が弱いから、走って切り抜けることは十分可能だが、雪に足を取られて思うように動けず、
魔者のほうはというと、どの種類もこの環境に順応しているらしく、滑るような早さで動き回って周囲を取り囲んでくる。
こちらを疲弊させてから襲おうとしているのだろう。
まともに相手していては、あっという間に日が暮れてしまう。
日が沈んでから雪が降る、なんてことも考えられなくもない。
「…走るか」
「それがいいですね…」
こんなところで野宿などしたらどうなるか…
そんな余計な事を考えなくてもいいように、一行は出来る限り先を急ぐことにした。






「…足りない」
「まだなの?結構集めてきたつもりだったんだけど」
――薄暗い、何処か。
その闇で身を隠すかのように、零亜とデューンが向き合っている。
零亜が着ている白いコートは暗闇の中でも目立っていたが、所々に少し汚れた跡と、映えるような真紅があり、場所の暗さと重なってそれが自分でも不気味に見えたが、
目の前にいる吸血鬼はなんの反応も示さない。
そんな時に、今更ながらふと思った。
零亜はこの吸血鬼に手を貸すとは言ったものの、その最終的な目的等については何も聞かされていなかった。
これまで主にやってきた事といえば、生き物を襲い、血を集めるだけ。
どうやら気が遠くなる程の血を集めて何かをしようとしているようだが…
それが何なのかは検討もつかないし、考えたところでわかるはずもない。
これまで特に気にも留めなかった事に、今になってその真意を聞いてみたくなった。
「血を集めて…どうするの?」
考えるより先に口が開いた。
デューンは鋭い視線で零亜を睨み、しばらく黙っていた。
あまり期待はしていない。というより、喋ってくれるとは思っていない。
「…や、ごめん。忘れて」
話してから後悔しても遅く、少し空気が張り詰めて来たのを感じてから適当に茶を濁した。
特にない用事をまるで思い出したかのように踵を返して振り返り、長居は無用と立ち去ろうとしていた時――
「……復活だ」
そう聞こえた。
首だけ振り返ってみる。デューンは変わらぬ姿勢のまま、やはりこちらを睨みつけたままだった。
そのまま口を開く。
「力…そして意思の復活……血は贄、宿りし形成す其へ贈る…」
「…なぞなぞみたいね」
何を示しているのかわからない。
結局、解消しようと思っていた謎がまた一つ増えてしまった。
元々聞く必要のなかった事、やはり聞かなければよかったか。
「…お喋りが過ぎた。…奴はまだか」






「はっ…はっ…!」
みかん達一行はまだ走っていた。
しんがりのラルフのさらに後ろ、後続の魔者が束になってこちらを執拗に狙い続けている。
積もった雪が思った以上にこちらの体力を奪い、それに気を取られて魔者に囲まれ、ラルフがそれを切り伏せて振り切るのだが、
いくら走っても魔者は湧き続ける。雪で隠れているだけで、実は街道沿いに巣がいくつもあるのではなかろうか。
しかし流石に追ってくる魔者の数も減ってきたようだ。
「…っ!キリが…なくはないが…っ…!」
「なんで…っ、こんなに……人気者なのかしらね…っ!」
「って言うか…変よこれ…っ!こういう習性とはいえ…っ、湧きすぎ…!」
戦界組が言うには、この大陸ではいつもは現在よりもずっと数が少ないらしい。
今までにもこうして魔者が襲って来た事は一々数えるのが面倒なほどあったが、今は何故か頻度が急激に増しているようだ。
「っ…!あれ、話してた村じゃないかな…!?」
皐月が前方に見える、雪が積もった村の門らしきものを指差す。
同じ方角には城も見える。おそらくマルカイムの村で間違いないだろう。
「うし…!やっと数も…マシになってきたっ!」
「オーケー…ここで迎え撃つわっ!」
このまま村まで走って魔者を招いてはまた面倒な事になる。
足を止めて振り返る一行。
それぞれ武器を構え、懲りずに向かってくる魔者を待ち構える。
互いが互いを射程に捉え、いざ戦わんとしたその瞬間――


突然鳴り響く、耳をつんざくような豪音――!
その音とほぼ同じタイミングで、目の前の魔者が破裂したかのように弾け、すぐに黒い塊と化してその場に崩れ落ちた。
流石に驚いた――突然大きな音が鳴ればそれも至極当然か。
音は後ろから鳴ったような気がした。
少し呆けた後、全員の顔が後ろ…村の門に向けられた。
「…何、あいつ」
門の傍らに立っていたのは男。
黒髪の隙間から見える額のバンダナ、おそらくクレスと同じくらいの年齢、背丈。
彼が手にしている物を見て、みかんは身を強張らせた。
「…け…拳銃……!?」
「厄介な代物をお持ちのようで…」
外見だけで判断するなら、デザインや仕組みは自分の知っている銃とは少しばかり違うようだ。
だが、それが紛れも無く銃であること、そしてその威力はついさっき目の当たりにした。
「あの人…誰だろう」
男はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
距離を少し置いた所でその足を止め、銃を両手で構えてこちらに突き付けた!
「ちょ…ちょっと、何よいきなり!」
「お前らも魔者か?」
「はあ!?貴方さっきのやり取り見てなかったの!?」
一行はずっと魔者に追われていたし、迎え撃つ時も門の正面に陣取っていた。
流石に様子ぐらいは見ていたはずだ。
「見てたさ。だからこうして疑ってる。お前らが上位魔者かもしれないしな」
男は銃口を向けたまま、しかし冷静に話し続ける。
――また聞き慣れない単語が出てきたような。
「…言うに事欠いて上位魔者ぉ?上等だッ!!」
「ちょっ、レナ姉ぇ!?落ち着いて!」
魔者扱いされたのが相当不満らしく、いきり立って今にも殴りかからんとするレナ。
面倒な事はできるだけ避けたいミーナがなんとかなだめようとするが、レナは聞く耳を持とうとしなかった。意地でも殴る気だ。
その様子を見ていた男は、それでも銃を構えたきり微動だにせず、こちらに集中している。
「ね、ねえ!私達、ウィンドラウスに行きたいんだけど!」
「だったら尚更だ。魔者かもしれねえお前らを通す訳にはいかねぇ」
「魔者じゃないっつってんでしょうが!!」
完全に頭に血が上っているレナがギャアギャア喚きちらす。
流石にめんどくさくなったか、明菜がレナの首根っこを掴み、力ずくで後ろへ下げる。
ため息が漏れる…
「証明すればいいのね?」
ミーナが荷物から何かを取り出し、男に見えるように掲げる。
グランディア王のサインが印された書状。…これでいいかしら」
「…見せてみろ」
男は依然として銃口を向けたままこちらに歩み寄り、書状を手に取って確認する。
目の動きを伺うに、かなりの流し読みをしているようだが…ちゃんと読んでいるのだろうか?
「魔者じゃないって、わかってもらえたかしら」
「ああ」
男は書状をミーナへ、押し付けるように突き返し、銃を腰のホルスターへ仕舞った。
疑っておきながら謝ろうともしない上にその態度。レナが怒る気持ちもわからないではない。
ミーナもこの男に対して苛立ちを抱き始めるが、堪えてため息と共に外へ吐き出した。
「少し待ってろ…もうすぐ交代の時間だし、ついでに城を案内する」
「貴方が案内?」
「ご不満ならどうぞ勝手に。せいぜい魔者に間違われな」
男がそう言って、こちらにそっぽを向けるように村の方を見る。
「…ふう」
みかんは軽い眩暈を覚え、足がふらついた。
隣に立っていた、レナの襟首を掴んでいた明菜にもたれかかる。
「……大丈夫?」
「はい…なんとか。…銃口突き付けられるのは怖いです」
もたれていた身体をしゃきっと立たせ、気をしっかり持つ。
ここに来るまで走っていた分の疲労が、今のでどっと身体にのしかかってきたような感じだ。
村をよく見てみると、人の姿が全く見当たらなかった。
他の街や村でも少なからず外に出ている村人はいるだろう。ましてやまだ日も高いこの時間帯だ。
いやに静まり返った村がやけに不気味に感じる。

「…あの、村に人の姿が見当たらないですけど」
皐月が男に対して聞く。
彼は少しだけ答えるのがめんどくさそうな動きを見せたが、気が変わったのか、最初に一息、こう喋った。
「みんな城にいる。避難してんだ」
元々この村にも魔者を追い払うための見張り役の兵士が城から遣わされていたが、
魔者の数が増えるにつれて手が追えなくなり、村人が被害を被る前にとウィンドラウス王が手を打っていたのだ。
村はそのまま。魔者による被害も少しずつ目に見える形で広がっているが、魔者の数が減るまではどうしようもない。
「…まあ、その王も大変な事になったんだがな」
「…?」
彼が締めの言葉に選んだその囁きが少し気になった。


気付けば日は西の地平に向けて少しずつ傾いていた。
一行は見張りの交代が来るまで、思い思いに時間を喰らっている。
港を出たのは朝も良い頃合い。
そこから此処までほぼずっと走り続けて今は空も赤紫色。
走るという選択は間違っていなかったようだが、積もった雪のせいで随分と強行軍になってしまった。
各々の疲労はピーク。
寒空の下で待ちぼうけをくらうのもそろそろ辛くなってきた。
「来たぞ」
男が声をかける。
彼の視線の先――城の方から、新たな人影がこちらに向かってきた。
「はー、お待たせ」
「遅え」
青いショートヘアの女性。
見るからに動き易さを重視したような恰好で、彼女自身も軽そうな感じだ。寒くないのだろうか。
こちらに目配せして、男と言葉を交わす。
「そっちは?」
「王女様にお目通り願いたいんだと」
「ああ、じゃあこの人達がそうなんだ」
既に城の方へ話は行っているようだ。
二人は立ち位置を入れ換えていた。先程男が言っていた交代とは見張りの事だろうか。
村人を城に避難させている今、この場所を見張る意味があるのかどうかはわからないが。
「じゃ、任せた」
「オッケー、ヨウも粗相のないようにね」
「手遅れだ」
手をひらひらさせた後、ヨウ――と言ったか…そう呼ばれた男――が目でみかん一行を呼びかける。
ついてこい、と声をかけるのすら面倒なんだろう。きっと。
けだるい身体を働かせ、彼の背中を追い掛ける。