陸「金銀魂ビネーション」-4

「え…」
みかんはあまりの驚きに言葉を失った。
普段は無口な彼女が喋っている。それもこんなに饒舌に。そして少し妙な口調…
ほんの一瞬、なにか悪いものでも口にしたのだろうかなどと考えてしまった。
そんなみかんの様子を見て、明菜は少し苦笑した。
…夢でも見ているのだろうか。
「…色々と伺いたいのでしょうが、詳しい話は後程…貴女は下がっていてください」
「は、はい…」
あっけにとられたみかんを背中に、明菜は刀を構え直し、魔者を見上げる。
苦悶の叫びを立てながら斬れた触手を振り回し、血ともとれる体液を辺りに振り散らせる。
だが暫くもしないうちに、体液が、触手の傷口で気持ち悪く音を立て始める。
さすがに驚いた。
「…厄介な……」
思わず口から言葉が漏れる。
みかんもその様を見ているうちに、生理的嫌悪感が込み上がってくる。
無理もない。
触手が再生しているのだ。
その能力も決して馬鹿にはできない。みるみるうちに触手は再生を遂げた。
明菜の刀なら斬り落とすことができるようだが、これではイタチゴッコになってしまう。
「何、どうしたのこの騒ぎは!?」
船室で休んでいたレナ達が甲板に上がってくる。
荒れた甲板、ずぶ濡れのみかん、そして巨大なイカ…と、それぞれ順番に目を通しては驚いていた。
誰が何を語らずとも、全員が今の状況に危険を覚え、そしてとりあえず武器で攻撃を仕掛ける。
剣、拳、槍、そしてファラクが腕に携えた機械弓(オートボウガン)…
やはりその全てが触手に弾かれてしまう。
これでは例の、船底に取り付けられている武器でも満足いく傷を負わせられていないだろう。
「…明菜さん…なら」
「いえ…申し訳ありませんが、それはできません」
――皆予想だにもしなかっただろう。
だからこそ、明菜が言葉を放ったことに対して全員が驚きをあらわにした。
ただ一人を除いて。
「その喋り…お前、朱羅だな」
「ご明察です、ラルフ殿」
「二回目だからな…とにかく、どうしてダメなん……っと」
悠長に会話できるほどの余裕を、魔者はどうやら与えてくれないようだ。
それぞれが意思を持っているかのように触手がうねり、次々に形を歪め、甲板にいる獲物に狙いをつける。
攻撃が通らないでは逃げ回るしかない。
各々が狭い甲板の上に散り散りになり、的にされないように動き回る。
「要点だけ言ってくれ!」
「どうにかして全員の攻撃が通るようにできれば、あるいは…!」
そんな無茶苦茶な。
甲板はすっかり荒れ、使えそうな物も見当たらない。
迂闊に手を出せば、逆に己の隙を作ってしまう。
そんな状況で何をどうしろと。
誰もがそう思っていた。――ただ一人を除いて。
「…魔法なら……できる」
皐月がそう呟くなり、掌をかざして目を閉じる。
少しの間を置いて、小さな球…何かの塊のようないびつなものが、掌の前にできあがる。
次第に大きさを増し、形も整って…ついには掌大にまで膨れ上がったところで、皐月はそれを手に握った。
魔者を見据えて狙いを定め、大きく振りかぶって投げ付ける!
「いけ…っ!」
空を裂きながら球は光を放ち、魔者へと迫る。
瞬間――爆発にも似たような音と共に、球から炎が産まれ、魔者の外皮に纏わり付いて焼き焦がす!
声を持たずとも幻聴のように耳へと吸い込まれる、音のない悲痛の叫びとともに、その巨体を痛みに悶えさせる。
焼かれていない触手を海面へ叩きつけ、その度に海水が飛沫となって降り注ぐ。己の身に這う痛みを訴えるかのように。
「今だ!」
焼けた触手を指差し、皐月が叫んだ。
同時に全員が動き、手にした得物を一点へ集束させる――!
「よし…いけるぞ!」
掌に返ってくる確かな感触。
触手は本体と斬り離され、甲板に転げ落ちる。
陸に揚げられたばかりの魚のように気味悪く跳ねていたが、やがてそれも動かなくなった。
…焼かれた部分から香ばしい匂いが漂う。
「どんな味がするんだろうな」
「…食べるの?」
そんな冗談のやりとりをしているうちに、次々と触手が襲い掛かってくる。
「とにかく、全員で皐月殿の援護を!レナ殿はみかん殿をお願い致します!」
「はいはい、了解…っとぉ!」
次々と触手が迫り、こちらを仕留めんと休みなく繰り出される。
他が触手の注意をひきつけ、皐月が魔法球を次々と作っていく。
まだ時間を少し要するものの、一つずつしっかり気を集中させて作り上げ、あるものは手に掴んで投げ、あるものは掌底をぶつけて勢いよく突き飛ばす。
だが魔者も黙ってそれを受けるつもりはないようだ。
一本の触手が海面を叩いて水飛沫をつくり、炎に被せて火力を弱める。
魔者なりの防衛策だろうか。
「そっちがそう来るなら…!」
皐月が、今度は両手を掲げる。
大分慣れたのか、実戦の最中にも色々と試していたのか、先程よりも魔法球ができるスピードが上がっている。
その大きさも顔ほどのものになっていた。
今度は何をするのかと思えば、出来上がったそれを手から離した。
重力に逆らい浮遊する魔法球を、おもむろに手にした槍の刃先で勢いよく叩きつけた――!
「おおっ」
「炎が…槍に」
さながら松明のようにも見える刃先が燃え上がった槍を手に、手近な触手へと斬り込む。
バトンのように回転させ、炎の軌跡を作り出す。その炎が更に火力を高めていき、回転の勢いと共に槍を振るう!
「はああぁっ!!」
肉の焼ける音と切れる音。
効果は抜群だ。
まだ焼けていなかった触手を、いとも簡単に切り裂いてしまった。
魔者も流石に堪えたか、再び身を歪めて踊る痛みに悶え狂う。
触手も大分数が減っている。
ここまでやってもまだしぶとく生きながらえているのも驚くべきことだろうか。
「ミーナさん、これを…」
「任せて!」
槍を手渡し、再び皐月が両手を掲げた。
その瞬間――
「…う、っ…」
「…!さ、皐月くん…!?」
足がもつれ、その場で崩れ落ちてしまった。
全身から汗が吹き出て、息もすっかり上がっている。さっきまでは全くそんな素振りは見られなかったのに。
「おい…やばいぞ!」
すっかり怒りに身を任せている魔者が隙を突き、渾身の力で触手を振り下ろす!
その矛先は皐月をしっかりと捉えている。
「くっ……止むを得ん!!」
明菜――朱羅が刀を構えて飛び出した。
刀に青白い光が宿り、迫る触手目掛けて下から袈裟斬る!
一筋の閃光が走り、触手は再び根本からバッサリと斬り捨てられる。
だが振り切った刀を杖代わりにし、その場に突き刺してよろける。
こちらも息が上がり、立ち上がるのもやっとという感じだ。
「く…これ以上使っては…明菜殿が…!」
「…いい、君も休んでな」
その様子を見たファラクがそう指示し、周囲を見渡す。
残りの触手はミーナとラルフが注意をひきつけているが、体力がどれだけもつかはわからない。
みかんは酔いでダウンし、それをレナが抱き抱えている。
明菜はこれ以上は危険らしく、要の皐月も限界が近い――
もう決着をつけないと全滅――船も積荷も海の藻屑になってしまう。
倒れている皐月の元へ向かう。
「金髪少年、まだいけるかい?」
「だ、大丈夫…こんなに使ったの、初めてだから」
残り少ない力を振り絞って立ち上がり、改めて両手を掲げる。
かなり疲弊しているようだが集中を続け、時間をかけて魔法球を作り始める。
「…ファラクさん、でしたっけ」
「ああ」
「魔者の少し赤く光っている部分、見えますか」
皐月が促す先を見る。
ちょうど魔者の身体の中心部、黒い身体の真ん中でぼんやりと赤い光を帯びているのが視認できた。
大体の予想はつく。あれが魔者の急所――弱点だろう。
「あの付近にこの魔法球を送ります…それを叩いて、至近距離で炎をねじ込んでください」
「ち、ちょっと待ってくれ。魔術もかじってないのにそんな…ま、マホーだかなんて…」
困惑するファラクの耳元で皐月が二、三言を囁く。
その言葉がにわかに信じがたく、そんな疑問を浮かべた表情で皐月の顔を伺うが、彼はそれを茶化す事なく、真剣な表情で頷いて答えた。
少しの間戸惑ったが、これしか方法がないのならもう迷っている時間はない。
腕の機械弓に矢を装填し、準備と覚悟の完了を皐月に伝える。
皐月がそれを確認して、完成した魔法球を魔者の中心部付近へと飛ばした!
立て続けに小さな魔法球を複数個、手品のように瞬く間に作り出し、それを大きな魔法球の軌跡を追うように、間隔を揃えてセットする。
全ての球が揃うのを確認したファラクが、球目掛けて駆け出した――!
(大丈夫だ…大丈夫だッ!)
先程の皐月の言葉を思い出す――


魔法は魔術とは違う。
すべての魔法の元となる魔法球を生み出すのは特定の人間にしかできないが、出来上がった魔法球は魔術や魔法に精通しない者でも扱うことができる。
扱うコツはただひとつ――


「『想像して。強く…頭の中に』。そして強い衝撃を球にぶつければ『想像は具現化する』」






「うおおおおぉぉッッ!!!」
小さな球に足をかけ、一気に踏み付ける!
足の裏に勢いのついた痛みが返ってきた――それと同時にファラクは具現化の成功を確信した。
頭の中を足場のことだけにして、ファラクは次々と魔法球の足場を駆け上がる!
破裂音と足音が繰り返し響き、頂上に浮かぶ魔法球を射程に捉えていく。
最上段で飛び上がり、機械弓を携えた方の拳を強く握り締める。
すぐさま頭の中を炎を強くイメージし、魔法球を見据えて狙いを定め、渾身の一撃を機械弓の矢ごと繰り出す――!
「行けえぇぇッ!!」
魔法球を打ち抜く。
球が炸裂し、そこからいくつもの炎が矢となってほとばしった!
それぞれが意思を持つようにうねり、一箇所に揃い、巨大な炎となって魔者を貫く!
瞬く間に炎が海面から出る外皮を余す事なく覆い尽くし、一気に焼き焦がしていく。
魔者はもはや消火をしようともせず、焦げる身体を悶えさせるだけだった。
だが――
「…ダメだ!あいつ、まだ…!」

なおもまだ魔者がその活動を停止する様子は見られなかった。
ファラクの放った炎が急所まで届いていなかったようだ。
だが魔者も虫の息。その動きも確実に弱りきっている。
的確に急所を貫けば、今度こそ仕留めることができるはず。
「皐月くん、これを!」
ミーナが炎の槍を手渡した。考えていることは一緒だったようだ。
すぐさま魔法球を作り、槍の後ろにつける。
発現させる魔法を頭で強くイメージして、残りの力を振り絞って魔法球を殴る!
「今度こそ…!」
魔法球が炸裂し、ジェット噴射のように炎が槍の後ろから噴き出た!
ゆるやかなカーブの軌跡をつくりながら、急所目掛けて炎の槍が空を舞う!
「貫けぇぇーッ!!」
魔者の肌を焼き、穴を開けながら、槍の先端が急所を突き貫く!
魔者がさっきまでとは違う反応――焦げた全身を激しく痙攣させ、糸の切れた人形のように残った触手が動かなくなった――を見せた。
今度こそ間違いなく仕留めただろう。
しばらく警戒し、構えを解かずに魔者を見据えていたが、やはり再び動き出す様子は見られなかった。


「…やっと黙ったか……」
戦闘終了。
船も積荷も自分達乗客も、どうにか守りきることが出来た。
――もっとも、ほぼ全員が満身創痍、甲板は見るも無惨…辛うじてやっと勝てたという状況だ。
皐月も安堵の息をもらすと同時に、その場に倒れてしまった。
「…ああクソ、びしょ濡れだ」
そこへ海に投げ出されたファラクが上がってきた。
上着を脱いで水分を搾り取り、それを着ずに肩にかける。
腕の機械弓も海水に浸してしまったのを気にしているのか、細かに細部を弄りはじめた。
「…大丈夫かい、あんたらは?」
「…とにかく、今は……動きたくない」
「同感ね…」
甲板の上で思い思いにぐったりとうなだれる。
すっかりボロボロになった甲板の後片付けもしなければならないのかと思うと余計に動きたくなくなる。
いっそこのままぐっすり寝てしまいたい、と誰もが思っていた。






翌朝――
日が昇ってすぐに、ブルースフィの港に到着した。
積荷を降ろして、最後の仕事から開放された一行。
各々が意気揚々と下船する――はずもなく、表情は未だ戦闘の疲れが取れておらず、波止場へ降り立つその足取りも軽快と言うには程遠かった。
皐月は疲労が溜まってまともに動けず、みかんに至ってはまだ顔を青ざめさせている。
全員がこんな状態で旅が成り立つはずがない。仕方なくも港の宿屋でしばらく休むことにした。
「――貴方はもう行くの?」
「前にも言った通り、急ぎだからね」
ファラクもまだ疲れが取れてないはずだったが、自分の目的を優先すると言って先に行ってしまった。


「…つまり、明菜自身は戦う力を持ってないわけか」
「はい」
宿の部屋に、眠りについている明菜を傍に、明菜と朱羅についてのことを聞くラルフとミーナの姿があった。
どうやら明菜本人は刀を持ってはいるものの、ラルフやみかんのように戦うことはできないらしい。
霊体である朱羅が明菜に憑依し、身体を借りて戦っている、と朱羅が言った。
「…今更だけど、今この瞬間が非科学的よね」
「まさに今更だな…」
無理はない。
霊がまるで生きているかのように意識を持ち、しかもそれとごく普通に会話をしているなど、普通はありえない事だ。
ラルフはこの非現実的現象に対して多少は免疫がついてきているが、まだ同行して日が浅いミーナはそれに慣れていない。
だが一度それを目の当たりにしたのだから、この先だんだんと耐性がついていくだろう。多分。
「で、でもそれはあなた達が元からできる事ではないんでしょ?」
例えば、みかんの傷が治るのが異常に早いのもそうだ。
霊が意識を持ったり、自らの身体に憑依させるなど、そんな現実離れしたことをいきなりできるようになるはずがない。
ミーナは、明菜も朱羅も『その宝石を持っているのではないか』と考えていた。
朱羅は首を縦に振った。
そして懐に手を入れ、何かを取り出して二人に見せる。
「……橙色の…宝石」
「明菜殿は紫色の宝石を持っておられます」
どうやら二人(?)とも、最初から宝石を持っていたわけではないらしい。
ふとしたきっかけで手にし、それからこのような力を得たようだ。
憑依は明菜の持つ宝石の力によるものらしいが、それは『よりしろ』となる者――明菜本人に大きな負荷がかかるため、長時間の憑依は控えていたらしい。
現に今回の戦闘では少し無理をしすぎて、明菜に疲れが大きく残ってしまっている。
「そこはわかったよ。…じゃあ、その宝石は一体何なんだ?」
深い傷を負ったのに瞬く間に治り、最初から傷なんてなかったかのようになる。
霊が生前と同じように意識も言葉も持つ。
霊をその身に宿し、生前の力を引き出す。
そういったありえない事を可能にさせる、その宝石は何だというのか?
「あの…」
声がした。
三人の視線が部屋の扉に注目する。
「…みかんちゃん、どうかした?」
酔いがまだ抜けないのか、顔色は未だに青みを帯びている。
口元を押さえながら、みかんが部屋に入ってきた。
「宝石の話をしてたみたいでしたから」
「まだ横になっていた方がいいかと思うがね」
「…ええ、そのつもりです。だから、これだけ…見せておいた方がいいと思って」
みかんはそう言って、ポケットから紙切れを取り出した――






「――それで?あなたはどうするつもりなの?」
「…多分、君と同じ事をしようとしてるはずさ。あいつと一緒にいるってことは、君もそうなんだろ?」
「まあ、そうね。間違ってはいないわ」
「俺がしたいのもそれだけ。純粋な気持ちさ」
「酔狂な人間が多すぎね…」
「……気のせいかな、君に似た子をつい最近見かけたような気がする」
「こんなフードを被っててもわかるのかしら」
「雰囲気がなんとなくね」
「…多分、間違ってないわよ」


「戻ったわ」
「……誰だ、その人間は」
「あなたに用があるって言ってたから連れて来たの」
「…あんたがそうなのか?」
「とっとと用件を言え」
「…俺はファラクエスターラ。吸血鬼、デューン・ブラインド――」


「あんた…俺を使わないか?」